春分当日に間に合わず数日遅くなってしまいましたが、2018年の春分図を用いて、これからの1年を考えてみたいと思います。
2018年春分図:トランジット図
2018年3月21日 1時16分36秒

春分図から考えられる1年の動向
それぞれテーマ別にまとめていきます。
世論
現在すでにそうですが、世論全体が政治的な話題にあふれる1年となりそうです。
この不透明な時代に生きる我々は、ひとつの大きな集団となって新しい時代という名の海原へ船出をしなければなりません。このことに向き合うさなかに、過激な言動が多数飛び交うことも多そうです。しかしこれはとくにネット上で行われるでしょう。可視世界に充満する空気自体はかなり重く、個人個人が思い思いに口を開いて話すということは稀だと思います。
また、根本的な変革を欲する気運も高まる可能性があります。ただしこのことは、まだ人々の意識下でしか動きがないかもしれません。動きが表面化してくるのは来年に入ってからかと思われます。
国民の心情
春分図における星の配置を見る限りでは、(戦争や内紛が起きている地域の人々を除き)世界の各地の方々においても安定志向であり、保守的な姿勢が強いように思われます。大きな変化を望んでいるわけではなく、現実的な充足を望んでいるでしょう。混乱も少ないと思われます。あるいは混乱から努めて心を離して過ごすでしょう。
日本においては、はじめのころの関心事としては、食や農業・水などの問題に向く可能性があります。まず、4月から種子法が廃止されますが、これは極めて深刻な問題です。また、以前から各報道のにぎわいの裏側で行われている水道民営化の問題なども一時的にクローズアップされる可能性があります。
しかし数ヶ月ほど経過する頃にはおそらく心情はかなり変化しているのではないかと思います。不安を抱え戸惑いながらも、人々はそれぞれ時代の変動の渦にその身を投じていくでしょう。とくに教育・情報・安全保障などの在り方やそれらに関連する出来事についてより強く関心を寄せていくかもしれません。
財政・景気
全体を通して不透明です。あるいは「幻を見せられる」結果になるでしょう。「景気は回復しているように見える」あるいは「まだ大丈夫」といったような雰囲気かと思います。
情報・報道
全体的に重い世論を受けて国民の中にうごめき始める変革の意識と対立するように、ライトな話題や娯楽、スキャンダル的な報道がより増加すると思われます。ものによっては露骨な表現で熱っぽく報道されるものも目立つかもしれません。
施政者はメディアをこれまで以上に積極的に利用することになるか、意図していなくても利用させられることになると思います。とくに前半については「矢面に立たされる」といった見え方になる可能性もあります。
国土・環境
1年を通して厳しく不安定な気候が多い可能性があります。また、地震を示す表示があります。
今年は5月半ばごろに天王星のサイン移動(♈牡羊座→♉牡牛座)を控えているのですが、天王星のサイン移動は地震を伴うことがあると言われ、以前起こった「東日本大震災」のときもこの事例に該当していました。今回も該当するのでしょうか?だからというわけでもありませんが、用心だけはしておきたいと思います。後は可能性があるとしたら冬至以降かと考えられます。
軍事
日本の春分図ではないのですが、アメリカの春分図では強硬な外交姿勢による軍事トラブルの表示があります。また、日本の場合、夏および冬から次の春分にかけて不安定になる兆候が見られます。国民の関心も向きやすくなりそうです。
外交
この1年間、日本の外交姿勢は保守的に見えます。外交というよりは自己防衛に終始するような、非常に消極的なものでしょう。
財源・借款・株等
夏ごろに一旦沸き立つ以外は目立った表示は見られません。ただ、この沸き立ちはもしかするとさらなる金融緩和策の実行の可能性が考えられます。日銀の黒田総裁の続投が決まっていますので、実行する可能性は十分あると思います。
金融緩和策ということは、紙幣がさらに刷られ、水増しされるという方法が続くことになります。
学術研究・高等教育
目立った発展の表示などはありません。
政府・与党
均衡のとれた状態あるいは平穏な状態を目指そうとしますが、表面的な対処をしてその結果がでたとしても、国民の不信感をぬぐうことはできないでしょう。ほとんどの人は日本という国と現在の施政者について「危うい」という感覚を持つように思います。
政権交代があるとしたら、来年に入ってからのように見えますが、政党単位での政権交代については、可能性は薄いと思います。
議会
1年を通じて活発に見えます。ただ、その様子が国民全般に広く伝わるかどうかは少し疑問が残るところです。議会を表示する領域は、もしかするとデモ活動の表示も意味している可能性があるかもしれないと考えますが、そう考えると、デモが起こる気運が1年を通してみられる とも解釈できます。
地下世界
「地下世界」とはなんとも微妙な表現だなと思いますが、なかなか適切に思える表現を他に思いつかなかったので、今回はこのまま書き進めます。
通常の生活をしていると、地下世界の動きなど、とても知り得ることができません。私は個人的には、地下世界ははっきりと存在していて、その世界での動きが遅れて地上世界に反映されてきているのだという認識を持っています。
春分時点では、日本から見て地下世界にあたる領域において「火種」があり、それが世論全体に火をつけていたり、現内閣に対して火の粉を飛ばしていたりするような表示であるように見受けられます。同時にこの「火種」は、アメリカの春分図では軍事の領域にあり、アメリカの世論と政府のスタンスの間において極めて強い緊張状態を強いています。
この「火種」が日本において地上世界へ影響を表してくるのは、今年の冬至から来年の前半にかけての時期かと考えられます。ちょうど現天皇陛下の退位・新天皇陛下の即位の時期と重なるかもしれません。また、爆破時期はもう少し先のようにも思えます。
日本始原図との対比に見る今年の国の姿・人々の姿
日本始原図の2重円を作り、外側の円に春分時点のトランジットをはめ込んでみました。

解説:日本国の「始原図」について
日本という国はとてもあいまいな国で、何をもって「始原」とするのかが不明確です。マンデーンの解釈に取り組み始めてから何度も考えてきたのですが、一向にわかりません。
いまのところ、候補となるのは次のとおりかと考えています。
- 日本国憲法可決成立時点(1946年10月7日)※今回用いたものです。
- 日本国憲法公布時点(1946年11月3日)
- 日本国憲法施行開始時点(1947年5月3日)
- 大日本帝国憲法公布時点(1889年2月11日)
- 神武天皇即位時点(紀元前660年2月11日)
今回は、日本始原図として現憲法が可決成立した1946年10月7日のものを採用しました。成立時刻は不明のため正午を適用しています。
余談
上記の候補を見ていて興味深かったのは、民衆を表す月が、いずれの図においても風サインの後半に位置していたことです。
私の目には、これは意外に見えました。もし本当に風サインの性質が発揮されているならば、今人々はもっと純粋に思考し、活発に議論し、感情論に依存せず自立的な在り方を好んでいるでしょうから。なんと言えばいいか…。本来持っているはずの性質を「呼び醒まされていない」状態のようにも思いました。
もしかするとこのような違和感のある状態は、持っているはずの気質(月)と養われてきた価値観(金星)の違いによるものなのかもしれません。今回採用した日本始原図で言えば、月は♒水瓶座ですが、金星は♏蠍座にあり、タイトなスクエアを形成しています。心情を内に秘めること、困難に耐え続けようとすること、情念によって価値基準を定めようとする傾向などは、この金星に象徴されているように思います。
感じたこと
この図を見て感じたのは、迷いや堂々巡りを示す「クインカンクス」というアスペクトがとても多い ということです。
国の姿勢・ありかたそのものにも迷いが生じていますし、これまでの価値観・プライドの持ち方・理想のビジョンなどについてもそれぞれに疑問が投げかけられ、混乱をきたしているように感じられます。
日本という国は一応民主主義の国です。しかし果たして、主権者である我々国民一人一人は、その権利を存分に行使できていたでしょうか?それ以前にその権利を行使するために必要な知識や教養を積極的に身につけてきたでしょうか?我々の施政の権利を託した人たちを正しく評価し、監視出来ていたでしょうか?小さな世界の中に閉じこもったまま、それが自らの生きている世界のすべてだと思い込もうとしていなかったでしょうか?
民主主義と資本主義の絡まりと分離について
現代における民主主義は、本来全く別の概念である「資本主義」と癒着していて、なかなか切り離すことが難しい状態になっています。これを切り離すのは難しいことだと思います。何故なら、現代の民主主義が形作られる過程において、初めから資本主義が絡まっていたからです。
資本主義をとても単純に表現すると、「資金力=支配力」ということです。実際に現代社会はそのような構造になっています。いまのところマンデーンで読み解けるのは各国単位の情勢ですが、世界の各国はすでに自国に対する主導権をほぼ失っており、国自体が株式会社のような構造になっていますし、国益のために国営事業とすべき分野も国から切り離されていっています。たとえば種子法による種子の保存や水道民営化などはこのような問題に属します。他にも数多くの問題がありますが、ここですべてを取り上げるのは無理があります。
では、はじめから「国はすでに自ら主導権を持っていない」という考えを持った中でマンデーンに取り組むことに意味はあるのか?
このことについて長いこと悩んでいたのですが、とりあえず取り組んでみることに決めました。「もしかしたら何か見いだせることがあるのかもしれない」という、ただの淡い期待のもとに。
あとがき
私がマンデーンに取り組む動機など、そんなに高尚なものではありません。ただ、あまりにも黒い泥にまみれすぎている世界の姿を少しでも理解したいという考えであったり、その世界を構成する人々が真の意味で自律するには何をしなければならないか?ということや、どのような呼び声を求めているのかということを考えるためであったりします。
幸せを願う言葉を発することは簡単です。しかし、そのためには、いつか現実に向き直ることが必要であるにもかかわらず、実際に向き直ることは、ある種の覚悟がないとできないことです。
また、「新しい時代」へ向かうこととは一つの「孵化」であり、そのためには、自らや世界を取り巻く「殻」を自らの力で突き破らなければ、新しい時代の中で生きていくことはできません。
私たちのように、占術によって世の中や人々を眺めることは、今日では「スピリチュアル」とか「スピ」と呼ばれています。しかし、魂の存在を感じ、理解することとは、現実を美化することでも蔑むことでも、どちらでもありません。現実から乖離するための願望論など偽物です。私はこの偽物感が満載の「スピ」という言葉が、虫唾が走るほど嫌いです。
今のところ私がマンデーンに取り組んでみて感じたことは、つまるところ、人は自らが持つ権利を放棄せず、また自らの能力を狭く小さな箱の中に押し込めるような意識を棄てて、日々と、自らの人生を「(余すところなく)生ききる」より他ないのだということです。そのために何かを為せているとはまだとても言えませんが、占星術という叡智をその貢献のために使用したいという願いがあります。
とくにマンデーンに関する記事に書き表す私の言葉は、決して優しく感じられるものではないと思いますが、普段見向きもしないような道端の石や小さな地割れに人々が気づくための、きっかけとなるものであれば と考えています。
今後もこの目的のために、地道に取り組む所存です。
