人は、自然の中で生き抜く力が弱かったために「知能」を発達させてそれを補いました。
その産物が多くの「機能」であり、人はまた「知能」を使ってこれらを組み合わせて、さらに新しい「機能」を作り出しました。
これが延々と繰り返され、社会ができ、文明が発達し、文化がそれを彩っていきました。
「知能」によって「機能」を生み出すことで自分達の生存力を高めることができるとわかると、人はこれを追求していくことになります。
そのなかで衰退したのは「感性」でしょう。
「知能」と「感性」の関係を忘れ、暴走を引き起こしたかのような状態になったのではないかと思っています。
「感性」を育てる方法を身につけなければ、恐らく私達は「腐敗」という名の終焉を迎えるのではないでしょうか。
これを助けてくれるもののひとつとして、良き「文化」は大切にすべきでしょう。
その際に最も大切なのは、その最深部に根付いている穢れない「心」を知ることだと思います。
これは、私がずっと昔から度々考えることです。
過去の日記を漁っていたら出てきたので、ここにも載せることにしました。
書いた時期を確認したら、2008年10月とありました。当時27歳の私の思想です。
いまもあまり変わっていないし、現在の風の時代に対する自分の理解にも、よく反映されていると思います。
参考:この思想の原型について
この思想の記事を書いた翌日、思想の原型と言える文章が見つかったので、それを別の記事として投稿しました。ご興味ある方がいらっしゃれば。