2019年11月27日:射手座の新月

アイキャッチ:新月

真実など知らなくても
生きていくことはできる

桜の原種たちがかつて
冬に向かう陽の中にも咲いていたことも

平和の彩りが濃くても薄くても
叡智が全ての人の持ち物でなくても

人が生きていくことはできる
それはこれからも?

多くの人々は今自らの命に
何を望んでいるのだろう

人として生まれた自らの魂の
進化への渇きを人々が赦せるようにと

この桜は伝えているのかもしれない
たとえ人目に触れられなくても

世界の片隅に散る無数の沈黙の声に
真実を見出せる人でありたい

晩秋の日差しの中で可憐に咲く桜

月相図のメッセージを詩にする

今回の表現のテーマ

新月=「決意のとき」という解釈を軸に、それがどのような決意なのかを考えています。

  • 清浄な状態・クリアな答えを求める
  • 迷いの中で霧の中に消えてしまわないように
  • 願いが染み込むように祈る

月相図をとおして社会を眺める

トランジット図:2019年11月27日 0時5分27秒

月相図のチャートから読み取った内容から、この新月の影響を受ける時期の社会状況を要約してまとめます。

この新月の影響を受ける期間は、次の満月までです。

背景に漂う空気感を要約する

世の中には手に負えないほどの不正が蔓延しているということを知り、その清浄化を求める人が増えてきているようです。この時期の世論は不正の実態に対して明確な答えを求めており、これが出発点となります。この感覚に共鳴する人がこの時期には多く、お互いに同調しやすい状態であると言えましょう。

しかしながら、綿密な計算と見事な演出によって実行される感動的なショーに導かれ、当初の世論は不正の実態に対して明確な答えを求めていたはずが、気が付いた時には迷子になっていそうです。感情を高揚させられるような話題、とくに郷土(あるいは民族)的なものに関する美談や楽観的あるいは希望観測的な話題などによって方向転換させられやすいことも考えられます。それでも日々報道される情報に真摯な姿勢を求める傾向自体は今後消えないように思います。今後も含め、くれぐれも冷静さを失わないようにしなければなりません。

結果として、大きな問題を追求して不正を正そうとする動きは成就しにくいのかもしれません。しかし、政治の清浄化を願う人々の願いの純粋さが、方々に伝播する可能性も捨てずにいたいところです。身を結ぶのがいつなのかは全くわからないですが。

社会の基本的な動向を要約する

動きが大きい分野

報道(情報の応酬)

多くの国民が知るところとなった政治スキャンダルである「桜を見る会」の問題に関する応酬が、この時期の政治的な動向の中心になるのではないかと考えます。

立法府に当たる国会は、次の満月(2019年12月4日)の数日後にあたる2019年12月9日に会期末を迎えます。この時までに政権中枢の行為が明確な汚職であるという結論が出せるかどうかというところで、各方面での応酬が繰り広げられることになります。

なお、この問題が中心に来ているのは、メディアが動いていることで国民に意識されやすい状態であるからです。実際にはこれは単独の問題ではなく、同時に動いているいくつもの政治動向の進退に関わっています。

新月の影響を受けやすい分野

立法府と不可視領域

今回の新月図では、世論の中心となっている問題に対峙している立法府およびその原因となった不可視領域の動向についてスポットが当たっていますので、ここを少し掘り下げます。

現在、「桜を見る会」問題に対して引き合いに出されているのは「日米貿易協定(通称:日米FTA)」です。「桜を見る会」の一連の騒動が「日米貿易協定」発効のためのスピンであるという意見があります。スピンというのは簡単にいうと「タゲそらし」のための手段として用いられる情報操作のことです。つまり「桜を見る会」問題は「日米貿易協定」を成立させるためのタゲそらしなので、どうでもいいことに振り回され続けている人々は愚かだという意見です。

これらの問題についての個人的な見解としては、「それもこれも独立した重大問題」だと思っています。「桜を見る会」問題は汚職問題であり、「日米貿易協定」問題は国会および国民からの信任に対する違反ならびに責務の放棄、そして何より大きな実害が見込まれているからです。また、現在野党が「桜を見る会」の追求をなぜ諦めようとしないかという理由をもう少しよく考えた方が良いと思います。

「日米貿易協定」は条約であり、両国の首脳同士が署名することで締結は完了しており「すでに成立した」ものです。従って現時点で法的効力が発生しており、国会での承認手続を経て発行日を確定するのみの段階です。これを覆すには、条約を破棄する正式な表明および署名を首脳自身(あるいは国家を代表する存在)がしなければなりません。また条約は憲法上事後承認が認められていますから、たとえ国会でのまともな審議を経ないまま締結されたものであっても、法の上の問題とはされません。では、現首相が国会の質疑に真面目に応じるか?また、国会が破棄を求めたとして、破棄に応じるか?と考えると、どちらもないだろうと思います。いくら不条理に満ちていたとしても、これは現在の政権構造下においては、すでにどうしようもないことです。

現在参議院内で審議がなされていますが、時間的な限界が存在します。それを過ぎれは結果的に日本は条約に批准せざるを得ないので、それまでに政権を停止させられる手段があるならば、その問題の追求を中心に据える方向に舵を切るのは当然でしょう。

汚職は明確に犯罪です。また、あまり政治に関心のない国民にとっても汚職はわかりやすく関心を集めやすいものです。さらに今回のケースでは、例えばこれまでに大きく取り上げられてきた「森友学園」や「加計学園」の問題とは異なり、舞台は「パーティ」であり、さらに庶民にとって比較的身近な多数の芸能人も巻き込んでおり、よりわかりやすく親近感を感じやすいものになっています。そのため、これまでの大規模な汚職問題のうち、最も世論を動かしやすい題材といってもいいでしょう。

以上のように考えれば、野党がこの問題を追求し続けるのは何ら不自然ではありません。

なお、「日米貿易協定」そのものの審議においてどのような意見が出されているかは、マスメディアではほぼ情報が出されていません。一部露出させている報道機関もあるようですが、世論を大きく動かすほどの露出には至っていません。現在のメディア統制が大変厳しい日本では、難しいのでしょう。そのため、この関係の情報はネットで拾うしかありません。ご興味のある方は是非色々ご覧ください。

世論というものは、国民の関心が集まれば集まるほど動きやすくなり、やがて政変の発生につながっていくものです。従って、今回の新月が示しているのは、まさにその政変の瀬戸際で揺れる時だということなのだと思います。

その他の分野

国土・郷土・民族

被災地復興に関わるもの、地方創生に関わるものや農業などで活気や盛り上がりを見せる事項があるかもしれません。年末そして次の年明けも近づいていますので、馴染みのあるものからまだ知られざるもの、新しく興ったものなど諸々の郷土文化の発信なども盛んになるでしょう。このこと自体はとても良いことです。

多方面では北方領土問題なども忘れないようにしておきたいところです。先日の政府系期間のコメントで「北方領土と言わないで」という発言があったなどと報道されているように、現在の日本政府側はかなり消極的な姿勢を取っていますので、いつの間にか問題自体がなかったことになっているという展開も発生しうると思っておくべきでしょう。どちらかといえばこの時期は、全体的に外に対する関心が向きづらかったり、曖昧な視点・姿勢しか持てないような傾向が出やすい時だと思われます。

経済・税

今後の経済低迷を印象づけるような、小規模なアクシデントが発生しうる可能性があります。一時的なインフレを伴う乱高下かもしれません。


解釈の根拠を知りたい方へ

解釈の根拠については、次のリンク先ページをご覧ください。


メッセージ:今このときを生きる人へ

気づけば11月も終盤ということで、そろそろ今年も終わりが近づいてきました。そして、年が変わる少し前に冬至がやってきます。

冬至はかつて中国などでは1年を区切る節目であったと言います。渡来文化を採用していた日本でもそうであった時代があるようです。地球上から見た太陽は南半球の南回帰線上に到達し、北半球では1日の日照時間が最も短くなります。占星術的には天球上の太陽の位置が黄経270°となり、山羊座のシーズンがスタートする日です。そして占星術と同じように太陽黄経の値で季節を区分している二十四節気では、これを冬至と呼んでいます。

今年の冬至図は厳しく目立つ要素がかなり多く、この激動の時代を象徴するものとなっているようです。来年のピークに向けて社会の抑圧や混乱はさらに増していくと予感させられます。

そんな次のフェーズへの移行期に当たるのが今回の新月図の示す時期です。世相全体を巻き込む政治的な情報の応酬が繰り広げられる期間となるのでしょう。これによって、現在の社会が辿っている望ましくない変遷の中に多くの人の意識がより吸収され、それぞれに「当事者感」が今よりも濃くなった状態で、次のフェーズを迎えていくことになるのだと思います。自分を取り巻く空気感の微妙な変化を、無意識に感じ取れる人もきっと少なくないでしょう。

この新月図で示されている社会的な問題についての情報の応酬が激しくなる傾向は、山羊座に移動していく木星がそのまま持っていくようです。そのため少なくとも来年末くらいまでは同じような傾向がおそらく続いていくでしょうし、今より強烈な現れ方になることも考えられます。一般の人ひとりひとりにとっても「声を上げざるを得ない」状況になりやすいか、「声を上げずにはいられない」という思いに駆られる人も増えるかもしれません。

本来生きることには並々ならぬ苦労が伴うものだったはずです。苦労の種類が変化しているというだけで、実はそれは今も変わっていないのではないかと思ったりします。今の時代この国にいますと、最低限生きるためには、知識も教養もいらない気がしてしまいますが、多分それは錯覚なのでしょう。人それぞれ自分が持ち得る知恵を絞って生きることは、知恵を無限に発展させる力を授かった人間という種として生きることの醍醐味でもあります。今のこのような厳しい時代で生きることになった私たちですが、知恵の力を使いながらこの時代特有のサバイバルをしながら生きるのだと考えるのも、案外悪くないかもしれません。

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